朝日新聞掲載

 
平成17年10月15日

-医師の外見と内面-見かけのよい医師にかかろう

九州大学大学院 消化器・総合外科(第二外科)
前原 喜彦

 患者の余命は、どの病院で、どの医師にかかるかで大きく左右される。我が国の医学部で一定水準以上の教育を受け、医師となってからは医学・医療の知識の蓄積とともに臨床修練を重ねたとしても、年を経るごとに医師の力量に差が開いてくるのはなぜだろうか。一般の患者の方々はよい医師、そうではない医師を何をもって判断したらよいのだろうか。

 私は、九州大学において医学部4年生の学生たちがベッドサイドの実習をスタートする時、オリエンテーションの一環として医師の姿勢や心構えについて話している。伝えたい大切なことはたくさんあるが、いつも最初に話すことは”Appearance”、外見の大切さである。

 ネクタイをし、白衣のボタンを留め、革靴を履き、聴診器は首に掛けずに白衣のポケットにしまい、歯を磨き、つめを切り、ひげをそり、清潔感のある姿でいよと。患者と初対面の時、相手の心をつかむためには外見の印象は非常に大切であると。正直言って大の大人に向かって言うことでもないとは思うが。

 外見はその人の心の内面を映し出す鏡であり、中身よければ外見はどうでもいいというのは、大きな間違いである。しかし、世の中の病院にはそれと違った姿の医師が何と多いことか。
 徳川四天王の一人、本多忠勝の遺訓に、「本多家の家人は、志よりもまず外見から武士の王道に入れ。外見を見ればその人の心根も見え、心の奥まで分かってしまうものだ」という一節がある。外見の教育は内面の教育でもある。政治の世界では、夏は暑いから服装も省エネで、と言っているようだが、病気には春も夏も秋も冬もない。病気に休みはない。当然、我々医師にも休みはなく、常に同じ姿で自分の精神を維持しつつ、患者に対し責務を果たしていくことが求められている。

 「躾(しつけ)」とは身を美しくと書くが、礼儀・作法の教育はこれまで「医局」が担ってきた。少なくとも我々の外科学教室は人生修養の場として、今後も医師としてのあるべき姿を教え、伝えていきたいと思っているが、新しい臨床研修医制度のもとでの人間教育はいったい誰がするのであろうか。

 病院にかかろうと思っている方々、イケメン医師に診てもらいなさいと言っているのではありません。清潔感あふれる背筋を伸ばした医師にかかりなさいと言っているのです。


※朝日新聞社に無断で転載することを禁止します