朝日新聞掲載

平成18年2月11日

-心構え・確かな目-真実の追究

九州大学大学院 消化器・総合外科(第二外科)
前原 喜彦

 ソウル大の黄禹錫教授による、ヒト胚性幹細胞(ES細胞)に関する研究が思いがけない展開を見せている。マスコミの報道からだけでは、何が本当で何が偽りなのかわからない。とにかく、ヒトクローン胚由来のES細胞が作られていなかったことだけは真実のようである。

 マンションの耐震強度偽装問題も同じだ。誰が本当のことを言い、誰がうそをついているのかわからない。二つの問題とも著しい倫理の欠如を感じる。医学であろうと工学であろうと、真実は一つである。疾病の仕組みを解明し、医療への応用を考える時、我々も真実を明らかにしようとする強い心構えと真実を見抜く確かな目を持つことが大切だ。

 しかしながら、真実に迫る方法や考え方には時代的変遷があるのが当然で、今の時代は「AイコールB」と考えられていても、次の時代は「AイコールC」となることもある。

 現在我々が行っている研究の一つに、大腸がん発生の基礎となるゲノム(遺伝情報全体)の不安定性がある。実は、大腸がんのうち右側に発生するがんは若者に目立ち、転移が少なくておとなしいことが多い。一方、左側に発生するがんは高齢者に多く、転移しやすくてたちが悪い。がんになると、普段は揺るぎないゲノムが著しく不安定化しているが、これまでゲノム不安定性のタイプ、すなわちDNA配列の特定の乱れ方で、このような違いが生まれると考えられてきた。

 しかし、我々が開発した精度の高い解析手法を用いると、配列の乱れ方は2通りではなく、実際には3通りあること、従来の手法ではこのうち1通りの乱れ方が検出困難であることがわかった。分子レベルの仕組みの正しい理解があって初めて正確な診断法と適切な治療法が開発される。

 教室では研究を始める時、まず基礎的な手技の練習から行う。例えば、細胞から抽出した一定量のDNAを2分の1、4分の1、8分の1と試験管内で薄めていき、測定すると、検出曲線は一直線となるはずである。しかし、手技のレベルや機器の状態によってはそうならない。知識を得て技術を磨き、正確な値に近付く努力を続ける。 このような訓練無くしては得られたデータの信頼性もない。

 研修医が行う医師としての臨床修練も同様だ。臨床の現場では一層結果が求められる。病気を治すこと、生命を救うことに全力を傾けることは言うまでもない。ただ、薬が効き、治療がうまく行ったように思えても、たまたま幸運に恵まれただけかもしれず、主観の危険性が潜んでいる。

 真実を追い求め、客観的で科学的な根拠に基づいた診断・治療法を確立することが、21世紀の医療には求められる。

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