朝日新聞掲載

平成18年1月28日

-征圧の願い-抗がん剤開発

九州大学大学院 消化器・総合外科(第二外科)
前原 喜彦

 抗がん剤と聞くと、副作用が強く、とにかく怖いというイメージがあると思う。何事も闘いの前には、まず相手を知ることが重要だ。確実で納得のいく治療を受けるためには、がんを知るとともに、攻撃する武器である抗がん剤が何たるかを認識すること。

 ここでは、代表的な抗がん剤について、その開発の経緯と今後の展望を述べてみたい。  実は、抗がん剤の歴史は古く、古代ギリシャ、ローマ時代から草の根や木の皮でがんを治療しようとした試みが記録されている。抗がん剤の研究の端緒となったのは、ドイツ軍が使った毒ガスのイペリットだ。第2次大戦中、ドイツから押収したイペリットを積んだ米国船が爆撃を受けて沈没。流出したイペリットに汚染された乗員は重篤な状態に陥り、ある者は死亡した。急激な白血球減少が認められたことから、白血病の治療薬として開発が進み、化合物として乳がんなどで用いられるエンドキサンなどが開発されている。

 欧州に自生するセイヨウイチイは、獣や虫よけとして中世から城壁の回りに植えられていた。樹皮や葉から抽出されたのがタキサン系薬剤で、胃がん、乳がん、肺がんなどの有力な薬剤となっている。イチイの木はわが国でも昔から神聖な木とされ、聖徳太子が両手でもっているしゃくもイチイの木で作られている。

 大腸菌が生育している培地に電気を流し、その様子を観察していると、大腸菌の生育が抑制された。この時、電極に用いる白金(プラチナ)が培地中の塩化アンモニウムと反応して、シスプラチンが形成されていたのである。シスプラチンは胃がん、大腸がん、肺がんなどの治療薬として世界で最も多く使われる薬剤の一つである。

 このように、がんを征圧したいという人類の長年の思いが、抗がん剤の開発へとつながっている。抗がん剤は人々の地道な努力と英知の結晶に他ならない。

 さて、抗がん剤をいかに治療に用いるか。医師は知識と経験、がんの性質や進行度とともに、患者の性別や年齢、体重、全身機能などを客観的に検討し、最も適した薬剤とその投与量、投与法を決める。思わぬ副作用が出ることがあり、白血球を増加させる薬剤や吐き気を抑える薬剤も開発されている。

 さらに、分子生物学の進歩はがんの個性、患者の個性を遺伝子レベルで評価することを可能にした。がんに最も効果が高く、患者に最も副作用が少ない薬剤を選択する試みで「個別化治療」と呼んでいるが、実は東洋医学の考え方である。

 抗がん剤治療はがん治療における有力な一手段であり、外科医は手術に習熟するとともに抗がん剤に関する知識と経験も求められる。当科では各臓器ごとに抗がん剤専門の医師が診療に携わっている。相談したいことがあれば、外来医長(092・642・5479)までご連絡を。

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