消化器・総合外科(第二外科)の歴史は...

 九州大学医学部の外科教室は、明治36年(1903年)3月、本学の生みの親である大森治豊教授によって開設されました。翌年9月、もうひとつの外科学教室が新設されたが、第二外科は大森教授を初代教授と仰ぎ、今年で100年を迎える長い歴史のスタートを切りました。 大森教授は九州大学の母体である京都帝国大学福岡医科大学の初代学長として、大学の基礎づくりに尽力しましたが、もともと優れた外科医であり、明治18年、福岡医学校に勤務していた時(当時、教授は33才)我が国で初めて妊婦の帝王切開術を施行、あわせて仮死状態にあった赤ん坊の気管切開を行って見事蘇生させた事がありました。このニュースは新聞などで全国に広まり、当時は「神技」として世の賛嘆を集めたそうです。この高い評価が後に福岡県立病院−福岡医科大学へと、発展的建設へつながることになりました。

 第2代、中山森彦教授は陸軍二等軍医からの就任。第3代、後藤七郎教授も陸軍軍医学校教官から就任。後に陸軍軍医監の重職も兼務しましたが、同時に教室の充実にも努め、大正8年には本邦初の輸血に成功しています。第4代友田正信教授は、敗戦の混乱を乗り切り在任20年間、ライフワークの胃外科の分野で数々の業績をあげ、中でも我が国で初めての「無胃性悪性貧血」の発見は特記すべきことでありました。しかし、在職中病に倒れました。

 昭和38年4月、友田正信教授が亡くなられた後を継いで、第5代目井口潔教授が就任。助教授からの昇任でした。友田教授時代からの胃癌の研究を引き継ぎ、さらに末梢血管外科、門脈圧亢進症の外科治療で多くの仕事をされました。また、千葉大学の中山恒明教授も考案されていた、血管吻合器を完成され、これを使った術式として、左胃静脈下大静脈吻合術を考案しました。今日では、食道静脈瘤に対する治療の第一選択は硬化療法となりましたが、門脈圧亢進症の病態を解明する上で重要な治療法として、その歴史に新たな1頁を加えたものでありました。

 昭和60年8月、杉町圭蔵教授が第6代教授に就任。平成7年より平成11年まで九州大学医学部長に就任、また、日本外科学会理事、日本癌治療学会理事長、日本癌学会理事などの要職に就かれており、医学の発展に尽力されました。大学院重点化及び研究院制度の導入により、平成12年度から新しく教室の名称が『九州大学大学院 消化器・総合外科(第二外科)』となりました。それに伴い英語表記も「Department of Surgery and Science, Graduate School of Medical Sciences, Kyushu University」に変わりました。

 そして平成14年10月、前原喜彦教授が第7代教授に就任し、新たな第二外科が歩き始めています。研究の領域では消化器の外科治療に始まり、分子生物学的手法を駆使して癌の解析を進め、消化器癌の総合的な分子生物学的治療体系の確立を目指しています。また、Harvard大学留学中に学んだ米国の教育システムにも精通し、次代を担う若い世代の教育、指導にも熱意をもって取り組んでいます。



【歴代教授】
 
初代教授
明治36年4月〜明治39年8月
2代教授
明治40年9月〜大正6年4月
3代教授
大正8年4月〜昭和17年3月
4代教授
昭和17年4月〜昭和37年11月
5代教授
昭和38年4月〜昭和60年3月
6代教授
昭和60年8月〜平成14年3月
7代教授
平成14年10月〜      


【日本外科学会主宰】
 
 大森治豊教授  明治36年(1906年) 第7回
 後藤七郎教授  昭和8年(1933年) 第34回
 井口 潔教授  昭和53年(1978年) 第78回
 杉町圭蔵教授  平成11年(1999年) 第99回

 *友田正信教授:昭和37年(1962年)副会長に就任するも、その年11月急逝。